日が沈んでから、海沿いの道を歩いてみた。
しかし、やけに人が多い。
老若男女問わずに、或いは高校生のグループあり、或いは家族連れあり、
と言った具合だ。
平日の夜更けに何故?これが日常?
そして、皆が同じ方向に歩いている。
その先には、白や紫に色を変える強い光が見えた。
流れに乗って歩いて行くと、人の密度は高くなって行く。
若い人が圧倒的に多い。
ベンチに腰掛けるカップルもいたが、人の波にさらされて少し気まずそうに見えた。
いつもは静かで良い雰囲気であろう公園も、今日ばかりは恋人たちの聖地ではないようだ。
光がたんだんと大きくなるにつれ、その正体も分かって来た。
野外ライブをやっている。
ステージ近くまでくると、ペンライトや、アイスや何かの豆など、食べ物を売り歩く者も居た。
どうやら今晩は何かの祭らしい。
このアーティストはトルコでは有名なのだろうか、
サビの部分に来ると観衆は声を合わせて歌っていた。
最初は恭しく見ていた観衆も、ライブが終盤に差し掛かる頃には踊っていた。
まずはテンションの高い青年が弾け出し、まわりもそれにつられるようにして。
いつの間にか男女の踊りの輪が出来ていた。
帰りの道すがらには、恥らいつつも勇気を出して女子に声を掛ける、
高校生のグループも何組か見かけた。
これも、トルコでの出会いの一形態なのかも知れない。
トルコ人の恋愛自由度は良く知らない。
しかしイスラム教国である以上、何の制約も無いとは思えない。
結果として、出会いの頻度もそう高くはないであろう中で、
このような機会を的確に捉える俊敏さが求められるのだろうか。
片や日本。
全くの自由である。
むしろ放埓とさえ言える。
しかし結婚できない人が急増しているように思う。
草食男子を通り越して、植物男子であるとも言われる始末だ。
自由である事が、事の成就に寄与するとは限らないのだ。
大事なのは瞬発力だ。
抑圧があるほうが、それが解き放たれた瞬間に生じるエネルギーのパルスは大きいものだ。
自戒とせねばなるまい。
一人きりの方が気楽でいいやなんて言い逃れは終わりにしなくては。
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