中心地に戻って来て遅めの昼食を取った。
気がつけば、腕が真っ赤に日焼けしていた。
なれないサドルで股間も少し痛かった。
日差しは強いが、レストランのオープンテラスの席は、時折心地よい風が吹き、
このままバスの発車までここで寝ていたいと思わせるものだった。
テーブルに置いた携帯をみると、薄っすらと砂が積もっていた。
拭き取って3分もすると、また砂が疎らに付着している。内陸性の乾燥した気候なのだ。
空気が乾燥しているので、日陰に居る限り気温の高さはむしろ有りがたかった。
空気の毛布に包まれているような感じで。
そう言えば戻って来る途中、パシャバーを発ってすぐ、
地べたに座り込んでいる欧米人カップルの横を通り過ぎようとしたところ、
「Excuse me!」と呼び止められた。
「パシャバーに行きたいんだけど、道に迷って…」
精根尽き果たといった面持ちだ。
「パシャバーなら、ここから300mくらい、あのカーブを曲がったら直ぐやから、頑張って」
と、元気付けてあげた。
たしかに、このあたりはルートを示す標識が全く無い。
ホテルやレンタルバイク屋で地図をもらえるが、それらは同じもので、
お世辞にも分かりやすいとは言えない。
『地球の歩き方』の地図もひどいが、こちらもかなり稚拙だ。
多くのツーリストが訪れる地なのだから、もう少し整備が必要だろう。
しかし、徒歩で回るとは、なかなかのチャレンジャーやな!
別れ際に女の子がお礼にとロクムをくれた。
重い腰を上げて、ギョレメ野外博物館へ向かう事にした。
予想に反して入場料が必要であったので、中に入るのは止めた。
土産物屋が並ぶ一角をブラブラしてから、チャイを飲んでまったりしていた。
視線の先にアイスクリーム屋があり、
人が通る度に「アイスクリ~ム!」と叫んで、鐘を鳴らし、
アイスクリームの塊りを棒先に引っ掛けて持ち上げるパフォーマンスを、
プログラムされたロボットのように繰り返していた。
この界隈では珍しく、甲斐甲斐しく働く人だった。
“伸びるアイスクリーム”はトルコ名物だが、あまり売れてはいなかった。
中心部に戻って来て、特にすることも無いので(する気力もないので)チャイを飲んだ。
地元の人が集まるチャイハネだった。
店はガラガラだったが、一つのテーブルに大勢の男たちが群がっていた。
カードゲームに興じているようだ。
平日の夕方前である。
その多くが、年配の、既にリタイアしたらしい印象であったので、せめてもの救いか。
バス発車時刻まではまだ時間があるので、ハマム(トルコ風呂)に行くことにした。
このハマムではまず服を脱いでから顔に泥パックのようなものを塗られる。
そのままサウナに数分入ってから身体を洗う浴室に連れて行かれる。
サウナに入る際に浴室を通過するのだが、
中央の大理石の台の上にビキニを着た女の子が横たわっていた。
どうやら混浴のようだ。
女性は水着を着た人が多数派だが、年配の女性にはタオルを巻いただけの人もいた。
サウナに入ると先客がいた。白人の若い男性だった。
どこから来たの?とか、トルコはどこを回った?などと話し初めて、
俺が「イスタンブールでもハマムに行ったよ」と言うと、
彼はこれからイスタンブールに行くらしく、どうだったか聞いて来た。
「観光客向けのところだったから、システマティックで、so-so (まあまあ)だ」と言うと笑っていた。
「でも男女は完全に隔離されていたなー」と付け加えると、
「ねー!ビキニの女の子が寝ていて、ビックリしたよね!」と興奮気味に食いついて来た。
あと、何故トルコ人は日本語を話したりして、日本好きの人が多いか不思議がっていたので、
理由を説明すると面白がっていた。
サウナから出て、身体を洗ってもらった。
自分の担当者は、以前に京都に住んでいたことがあると言っていた。
その後のマッサージ&整体中に、幾度と無く腰に巻いた布がはだけて、
ほぼ産まれたままの姿にさせられた。
『こらこら、女子もいてるっちゅーねん!』
最後にキャメルクラッチとパロ・スペシャルを合わせたような技を掛けられた。
↓の動画の2:30あたり参照のこと。
ここも観光客向けであることは間違いないが、イスタンブールよりは断然良かっただろう。
料金も安かったし。
ハマム出て、ぼちぼちとオトガルに向かった。
オトガル(バスステーション)には、徐々に乗客が集まって来ていた。
アジア系では、中国人の若者グループと、韓国人の男の子3人組がいた。
日本人は居ないようだ。
デニズリ(パムッカレ最寄の都市)はでは約10時間。
今回の旅行で最もハードな行程だ。
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